2018年幕明け

新年おめでとうございます。

 

2018年が幕を明けました。

 

管理人の幕開けは例年は初日の出を拝みに行くだけでしたが、今年は竹刀を持参しました。

 

初日の出に向かって100本素振りです

ただの思い付きでやってみましたが、これがなかなか良かったです。

 

まだ早いですが来年も続けていければと思います。

 

さて今年の稽古は4日から。

 

一年の計は元旦にありとも言われています。

 

皆さんも色々な目標を立てたと思います。

 

その目標に少しでも近づけるように公私ともに励みましょう。

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コメント: 19
  • #1

    田布施 蟻巣 (月曜日, 26 3月 2018 04:33)

    真火

    「妙法蓮華経」(法華経)には、「南無妙法蓮華経」と「唱えれば」功徳がある、或いは救われる、或いは仏へとなれる、或いは御利益がある、などというような事は「一切書かれていない。」

    「南無」とは頼みます、帰依しますという意味であり、南無妙法蓮華経とは妙法蓮華経の教えに帰依しますという意味だそうですが、その「妙法蓮華経」自体には「唱えろ」と書かれていないような事ばかりを唱えていて、果たして何処が「妙法蓮華経」の教えに帰依しているのか、という話である。
    創価学会をはじめとした日蓮系の宗教では「南無妙法蓮華経」と只管に唱えるべきだとされていますが、しかし妙法蓮華経の教えに従いますと言っておきながら、実際には全く妙法蓮華経の教えとは異なる事ばかりを行っているのですから、
    「南無妙法蓮華経」と唱えるべきだという日蓮の教えは、全く以って支離滅裂な、中身のない口先だけの教えであると言えます。

    創価学会をはじめとした日蓮系統の宗教団体では、仏や神や祖霊などではなく「南無妙法蓮華経」という「文字」を拝む。これは例えば妙法蓮華経の教えを司る、或いは教えを守る仏や神や霊などではなく、正真正銘その「文字自体」を拝んでいる。何故ならば日蓮が仏や神や霊を拝む事を禁じたからであり、そもそも彼らが仏や神ではなく南無妙法蓮華経という文字を拝んでいるのもこの日蓮の教えの為である。
    先に書いたように妙法蓮華経には南無妙法蓮華経と唱えろとは一切書かれていない事と同様、「南無妙法蓮華経」という文字を拝めというような事も一切書かれてはいない。彼らは南無妙法蓮華経という文字に拝む事で妙法蓮華経の教えに帰依出来ているとでも思っているようだが、やはり妙法蓮華経に書かれていない事ばかりを行っていて何処が帰依出来ていると言えるのかという話である。
    仏や神を拝まなくても妙法蓮華経の教えに従っていれば仏や神は勝手に助けてくれると日蓮はほざいていたそうだが、その日蓮の教えの通りならば妙法蓮華経の教えに従っていない彼らは仏にも神にも助けて貰えないという事になる。
    しかも妙法蓮華経自体には如来神力第二十一などで仏や菩薩に拝めとしっかりと書かれており、仏に拝むなという日蓮の教えは妙法蓮華経に反した全くのデタラメである。また他にも数多の仏に「会い」、数多の仏を「供養」して仏となる(覚りを得る)とも頻繁に書かれており、
    これは創価をはじめ日蓮系宗教の信者達がいかに妙法蓮華経の教えに従いますと口先で言っておきながら全くその中身を知らない事の良い証左である。
    文字自体を拝んでいるというその間抜けさの通りに、また先に書いたように妙法蓮華経自体に仏や菩薩に拝めと書いている通りに、神仏に拝まずに教えにのみ従っていればいいという日蓮の教え自体が間違いである。そんな事は妙法蓮華経にも書かれてはいない。
    こんな支離滅裂で矛盾に満ちた日蓮の教えに従って南無妙法蓮華経と唱え、またこの文字に拝み続けた所で、助けてくれるとしてもそれは悪霊や悪魔の類ぐらいである。日蓮がどういう意図の下で仏や神に拝む事を禁じさせたのか、その事についてよく考えられた方がいいだろう。

  • #2

    田布施 (月曜日, 26 3月 2018 04:37)

    南無妙法蓮華経という言葉自体に力があるなどという事を創価などは言っているが、噴飯ものの苦しい言い訳である。そんな事を言うなら元々のサンスクリッド語や中国語で唱えたらどうなのかという話になるが、それについても妙法蓮華経に帰依しますという意味であるならどんな言語で言ってもいいと言い出すのだろうが、先に書いたようにその妙法蓮華経にはそもそもそんな事は書いていない。
    創価学会員などが只管何時間も南無妙法蓮華経と唱え続けている通り、彼らは只管喧しく題目やら経典やらを唱え続ける事が良いと思っているようだが、妙法蓮華経には「瞑想」によって悟りへの道を開く、などの旨の事も書かれており、
    実際に釈迦が悟ったのは瞑想中の事であり、彼らの如くに口喧しく何時間も何かを唱え続ける事は「瞑想」とは全く程遠い行為であると言えるだろう。まして彼らが唱えているのは仏典には全く「唱えよ」と書かれていないような意味の無い言葉なのだから。
    尚、これは仏典などを声を出して説く事や読む事自体を否定している訳ではない。
    妙法蓮華経には確かに(あくまで仏典において)最高の教えであると書かれていますが、日蓮が言うような他の仏典の教えは知らなくてもいいという事や誤りであるというような事は何処にも書かれていません。

    創価などの日蓮系統では日蓮の教えと妙法蓮華経の教え以外は「謗法」と言って邪教の教えだとしていますが、妙法蓮華経に帰依すると言っておきながら全くそれに反している日蓮の教えこそが「謗法」であり、また妙法蓮華経には自らを悟ったと思い込み誤った教えを説く「高慢自惚れの僧」の事が書かれていますが、全くこんな支離滅裂で中身の無い教えを只管に広めようとする程に自らの正しさを信じて疑わない日蓮とその教えに従う信者達はまさしくこの「高慢自惚れの僧」である。
    創価などは僧ですらないが、僧籍にすら入らずに自らを正しいと信じ込んでいる分だけ僧よりも彼らの方が自惚れが強いと言えるだろう。
    有名な創価学会の池田大作は名前も知らないような外国の大学などからやたらと賞を送られているそうだが、全く以ってその思想や活動などの有益性について語られる事が創価学会以外の世間一般において皆無である通りに、その溜め込んだ莫大な資産の額と愛人の数に比してもその思想や活動には語れる程に中身がなく、まさに「有名無実」、形ばかりで中身の無い日蓮の教えの象徴とも言えるだろう。

    私は「妙法蓮華経」自体を否定するつもりはありません。ただ「南無妙法蓮華経」という文字をはじめとした日蓮の教えを否定しているだけです。

  • #3

    たぶせ (月曜日, 26 3月 2018 04:38)

    日蓮は念仏を否定しており、私はてっきり「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば救われるというような、インスタント食品のように手軽で信者を簡単に獲得する為に考え出されたかのような薄っぺらい考えと心性を否定しているのかと思いきや、
    自身は南無阿弥陀仏をパクった南無妙法蓮華経などという頭の弱い「念仏モドキ」を念仏ではなく「題目」だなどと屁理屈を捏ねて言い換え、こればかりを信者に唱えさせているのですから、仏を拝むなと言って仏自体を軽んじるその教えと併せて、どうやら日蓮は単に阿弥陀仏などの仏自体が嫌いであったり、念仏を唱える浄土宗や浄土真宗の信者を奪おうと思っていただけであったと伺われます。
    仏を嫌い、また信者をつくる事にだけ異常な執念を燃やしていた日蓮について、私にはどうにも悪霊に取り付かれて半ば気が狂い、権力欲だけが暴走して常軌を逸してしまったという類の人間であるように思えてなりません。

    浄土宗、及び浄土真宗をそれぞれ日本で広めた法然、及び親鸞については、どうやら南無阿弥陀仏と唱えさえすれば救われるというような事は言っていないようです。
    しかし親鸞については心の中で(心の底から)南無阿弥陀仏と念じただけでも救われるというような事も言っていたそうであり、またさほど深く考えない信者などは念仏を唱えさえすればいいという風に漠然と思っていた者も多かったと思われ、
    例えば戦国時代、各地で仏教の僧達が武装して独自の勢力を築いていましたが、仏典の教えからいかなる苦境にあれど殺生からは最も遠ざかるべき仏教徒達が、自ら武装し殺生を行うようになった事について、少なくとも本願寺などの浄土真宗などの勢力については「どれだけ殺しても死ぬ直前に念仏さえ唱え(念じ)れば救われる」という、念仏の簡単さ気軽さから出た考えがそれを後押ししていた面はあったように思われます。
    戦国時代の僧達の武装化については、人の死を悼む気持ちに付け込んで高額を要求する葬式商売をはじめ、ただでさえ無知蒙昧な信者達からの尊敬と布施によって豊かな生活が容易に出来る為に、本来質素に生き欲を離れて生きるべき所を贅を極め欲のままに生きているような、狸霊の容器と成り果てた生臭い狸坊主ばかりが量産されがちな所を、
    獣の性質そのままに仏教において最も忌むべき殺生を自ら行い生臭坊主から血生臭坊主にまで堕ちていたのですから、そりゃ信長や秀吉に焼き払われても仕方が無いと言えたのかも知れません。

    辛辣な事を書きましたが私は念仏自体を否定するつもりはありません。題目などとは違い念仏にはある程度力はあると思っていますし、題目などとは違い念仏に関しては何もしないよりはまだ唱えたり念じた方がいいとも思っています。

    学会員の方の中には上記の事を見て信仰が揺らぎ、自身が今までやって来た活動とは何だったのかと思われる方もおられるかも知れません。しかし、彼らはこれまで「人間革命」などと称して、周りに対し意識改革を迫り続けてきたのです。人に対して今までの信仰や考えを捨てよと迫ってきたのですから、自らも誤りがあれば例えその誤った考えに今まで縋り続けていたとしても、それを心の中でだけでも捨てて自らの中でも「革命」を起こさなければならないというのは一つの道理であると言えるように思われます。

  • #4

    (月曜日, 26 3月 2018 04:39)

    私は元創価学会員ですが、そこで創価学会員達が普段唱えている妙法蓮華経(法華経)の「方便品第二」について、「智慧ではどれだけ頑張っても仏の智慧(悟り)を得られないから、疑問に思わずに只管仏の教えに従うべき」という旨の事が書かれていると教えられた事があります。
    狭量な先入観や偏見が新たな発見や理解や智慧から人を遠ざける事は確かであるとは言え、これはおおよそ思考停止させて洗脳するカルトや詐欺師に利用されるような教えではあり、創価をはじめ日蓮系が方便品第二を重視して読ませているのはその意図からだと思われるのですが、
    しかしこれには続きがあり、方便品第二では、釈迦(釈尊)の智慧に優れた弟子(舎利弗)がそれに納得出来ずに釈迦を問い詰め、釈迦はついに仏の智慧とは「衆生を仏へと導く事それ自体の事」であり、他の教えはあくまでその一部分、或いは仏へと到らせる為の方便である、という旨の事を弟子達に教えています。
    どうしてその「仏へと導く事」という教えがいくら智慧を絞ってもわからないのか、その理由については妙法蓮華経にも書いていませんが、凡そ「見本が無ければ目指しようが無く、そもそも目指そうとも思わない」という事からだろうと思われます。
    信仰によって仏や仏から垂れる歓喜なりに触れるなどして具体的なる目標や動機が与えられなければ、幾ら智慧があっても仏を目指しようが無く、また目指そうとも思わないというのは、現在において仏教徒などよりも遥かに智慧に優れた科学者などの大半が全く信仰とは縁遠い場所にいる事などもその証左の一つであるように思われます。
    方便品第二では智慧だけでは仏の智慧に到れないとも、また疑問に思ってはいけないとも言っていますが、しかし全く智慧自体を捨てろと言っている訳ではありません。仏の教えの断片とも言える他の教えを理解するのも、また方便を使うのも智慧が必要です。また、釈迦が只管に従うべきと言っているのは「仏」や「仏の教え」についてであり、決して「間違った教え」にまで盲目的に従えとは言ってはいません。
    「仏の智慧(悟り、妙法の蓮華の教え)」が「衆生を仏にする事それ自体」というのは何とも曖昧に思えますが、「仏の智慧」「悟り」「妙法の蓮華の教え」が「特定の具体的なる教え」であればそれを知りさえすれば別にいちいち人に教えを説いて導いたり修行したりしなくても「仏となれる」という事になる為、やはり「仏の教え」「悟り」「妙法の蓮華の教え」は、やはり特定の具体的なる教えでは無い事になります。

    日蓮には処刑されそうになった所、処刑人の刀が「光り物」によって折れ(この「光り物」とは雷とも言われている)処刑が取りやめになって死を免れた、「竜の口の法難」という奇跡的なエピソードがあり、このエピソード等を以って日蓮には仏の加護があるとでも信じている方もおられるかと存じますが、
    例えば大阪で児童8人を殺傷した宅間守にも飛び降り自殺しようとして重態になりながらも奇跡的に生き延びるような出来事が起こっており、またヒトラーも第一次大戦において特に死亡率が高かったとされる情報を伝える役に就いて何度も死地に赴きながらも、時に自らを導く「声」を聞いて死を回避する事などさえも起こり奇跡的に生還しつづけ、
    実際にヒトラーは第一次大戦の際に多くの武勲を立てて不死身の男と称えられていたように、他にも殺人鬼をはじめとした多くの悪党が九死に一生を得たり、あるいはその悪事が奇跡的に露見せずに済みその後も悪事を続けたりといった事は古今東西に数多く存在しており、奇跡的な出来事があったとしても、それが「仏」や「神」の力によるものとは限りません。
    例えば「悪霊」、「悪魔」、「妖怪」等といった存在は、「怪異」という一種奇跡のような事を起こす力を持っていると昔から言われており、それらは世を乱し多くの人を苦しめ迷わせ地獄に落とす為に利用できると踏んだ者をこそ「強く守護する」ものであり、それこそが上記悪人達を救った奇跡的な出来事の正体である。
    上記の日蓮のエピソードが「嘘や捏造」でなく仮に本当であったとしても、日蓮を守ったのは仏ではなくこれら「魔」の類である。宅間守も、宅間を生んだ両親も、日蓮系宗教団体の信者であったたという。
    創価学会で発行されている聖教新聞では毎日のように学会員達の中で障害を負った人々などが紹介されており(よくもまあこれだけネタが尽きない程に不幸な人々が次々と創価からは出てくるものだと思われますが)それら記事などによれば創価の人々などは障害を持つ子が生まれて来ても試練として受け入れるそうですが、果たして彼らとて、自分の子が多くの人々の人生を破壊する程の重犯罪者になっても尚そう思えるのか。それでも尚平気であるのなら、その心性はもはや地獄の悪魔と何ら変わらないよう私には思われます。
    悪人達が生き延びるような事が起こるのは今が「末法」の世だからである等と思われる方もおられるかも知れませんが、日蓮も末法の人間である。日蓮の信奉者達は日蓮の教えこそが末法において唯一正しい教えだと信じているようですが、そんな保障が何処にあるのかという話です。
    ましてこれだけ矛盾に満ちている上に中身の無い教えなのですから。日蓮こそ、末法を末法たらしめる悪魔の内の一人である。創価をはじめ、日蓮の教えを信奉する宗教団体がこれほど世に蔓延し、それでいて尚世が全体において悪化する一方なのがその証拠である。
    末法の世において弥勒の現れる56億年後だかまで完全に正しい教えが無くなるなどとは私も全く思っていませんが、しかし少なくとも日蓮の教えはその正しい教えでは決してありません。

    創価学会や顕正会などをはじめ、日蓮系の宗教団体が不特定多数で特定の人物やその周辺に付きまとい、監視、嫌がらせなどを行う「集団ストーカー」なる事を行っているという噂は昔から絶えず、その真偽の程は不明ですが、
    しかしおよそこのような「集団ストーカー」の事を言うと、それに常として起こる反論として、そんな有名人でも重要人物でもない人間にそんな大勢の人間が付き纏うなんて意味がわからない、自分の時間を割いてまでそんな事をしてその集団ストーカーをしているというその大勢の人間に何の得がある?などと言う旨の反論が起こります。
    しかしネットの世界を見渡してみれば、有名人でも無い一般人の個人情報の特定、そしてその特定した個人情報を元にしての監視や嫌がらせなどは頻繁にネット上での不特定多数の人間によって行われ続け、
    最近でも「ハセカラ民」だの「なんJ民」だの「岩けんま民」だのという者達の中に、自分の時間を大幅に割き、自分が直接被害を受けた訳でもない上に、経済的利益が皆無な処か捕まり裁判沙汰になるリスクまであるにも関わらず、
    ターゲットやその周辺の人々さえも監視し嫌がらせを繰り返し行うようなしょうもない事を繰り返すクズ共が際限無く発生し続けているのであり、
    この「ハセカラ民」や「岩けんま民」の一部などのように、人の監視や嫌がらせなどのしょうもない事をさしたる理由も利益も無くリスクを負ってまで自発的に行うクズ共がこれほどいるという「実例」があるのですから、利益が無ければ集団でそんな事をする奴はいないという先の反論のような事は、決して断言する事は出来ないという事になります。まして「教団の為になる」「功徳がある」などと煽られたならば。
    果たして噂の真偽の程は私にはわかりませんが、創価をはじめ日蓮系団体などでこのような事が行われていない事を私はただ願うばかりです。

  • #5

    田布施 (月曜日, 26 3月 2018 04:47)

    現在日本で信者数の多い新興宗教は、宗教の分際で科学を名乗りながらもその実全く科学的合理性など皆無の故人を冒涜し続けるイタコ芸人が教主のボンクラ宗教(幸福の科学)を除いて、創価や顕正会などの日蓮系の派生系統、或いは立正佼成会などの霊友会の派生系統などが多く、そして日蓮系は勿論、この霊友会やその派生系統においても題目「南無妙法蓮華経」が主として唱えられています。
    他にもキリスト教系団体を名乗りながらも、よりにもよって性欲旺盛で強姦事件まで起こしている性的異常者の朝鮮人男性(文鮮明)をキリストより上の救世主だと言って教主として掲げ、
    キリスト教の教義を牽強付会し捻じ曲げ教主などの朝鮮人男性とのSEXで霊的に救われるなどという、倒錯した頭も気色も悪い教義(日本人を罪を犯したイブの民族としてアダムの民族であるという韓国人に罪を償わねばならないという教義、及びそれを元に行われる韓国人男性と日本人女性の組み合わせ「のみ」の合同結婚式、及び「血分け」)を掲げ、
    霊感商法やマインドコントロールなどを頻繁に行い、合同結婚式などと称して数千人もの日本人女性を韓国の貧農村へ嫁として送り出して現地で(性)奴隷同然の扱いを受けさせるような事も行っているという、
    某安倍首相も祖父の代から入信している純然たる朝鮮SEXカルト宗教である似非キリスト教団体(統一教会、現「世界平和統一家庭連合」)も日本においてはかなり信者数が多く、念仏モドキを唱える宗教群をはじめ、どうにも邪教ばかりが日本において勢いを強くしているのは由々しき事態であると言えます。特に創価と某朝鮮SEXカルトについては、その関係者や関係団体が与党となって政権さえ握っている為に。

  • #6

    蟻巣 (月曜日, 26 3月 2018 04:48)

    2016年の春、中米パナマのある法律事務所が作成した、世界中の富裕層が「脱税」の為に資産を移す租税回避地(タックスヘイブン)に関する機密文書、通称「パナマ文書」が流出し、その流出当初から安倍政権はパナマ文書の内容に関して追求しない事を表明しましたが、
    この文書にはロシアのプーチン首相や中国の習近平主席の親族や友人らの名もあり、欧米など先進諸国でパナマ文書が報道され調査を開始した事に対し、これら共産国家ではパナマ文書に関して報道規制が敷かれましたが、この事もまた、およそ格差を是正する事をその本旨とするべき共産主義、社会主義がむしろ格差を助長し、格差を固定化させるという事の証左であると言えます。
    日本においても報道されこそすれ、安倍政権はこのパナマ文書の追求を回避しようとしました。日本は今回とは別件で13年の時点で既に、世界中に存在するタックスヘイブンの内、ケイマン諸島だけで1年の税収を超える55兆円以上もの額が脱税されていたと言われており、日本の脱税額はアメリカに次いで世界第二位の脱税額であると言われています。
    そんな中、安倍政権は消費増税を推進し庶民の富を吸い上げようとする一方で、富裕層が脱税する事には目を瞑ったのです。その後、安倍政権は2017年度に消費税を10パーセントにする方針を取り止め、消費税増税を延期しましたが、しかしそれは単に経済の見通しが悪化した事からそうしただけであり、例えば消費税増税によって庶民から徴収する分をタックスヘイブンに貯えられた脱税資産から補填する、或いはタックスヘイブンの脱税資産を追求しない代わりとして庶民にも負担を強いないようにした、などのタックスヘイブン絡みの理由からでは無く、消費税増税の延長はあくまでパナマ文書とは無関係であり、またあくまで「延長」でしかなく、自民、公明はいずれ増税して庶民に「のみ」負担を強いようとしている事には代わりありません。
    安倍政権は当然自公連立政権であり、公明党も増税自体には賛成していた通りに安倍政権の方針は与党である公明党の方針とも言えます。少なくとも責任はある。創価学会員には未だ公明党を盲目的に支持する事に「巧徳」があると思っている方が多くおられるようですが、この事も、果たして盲目的に学会の言う通りに公明党を支持する事が本当に「巧徳」があるのか?巧徳どころかむしろ巨大な「罪業」を負ってしまっているのではないのか?と学会員達に問える出来事であるように思われます。
    この「パナマ文書」の中には「創価学会インターナショナル」の名もあるそうです。

    自公連立政権である安倍内閣は、財政破綻を危惧しながらもこのように富裕層が税金逃れをして富を蓄えている事を知りながらもそれを追求しようとせず、消費税を増税して貧困層を含めた庶民からさらに血税を搾り取ろうとし、さらに安倍内閣は少子化を理由に、欧州において元々の住民達から雇用を奪い更に治安悪化や政情不安を招き問題視されている外国人労働者などの移民受け入れを日本で推進していました。
    公明党自体もまた、現実味が薄いと言われる程に余計な手間と税金がかかり新たな利権の温床となるだろう軽減税率制度を併せて提唱していたとは言え、増税自体には賛成しているのであり、また移民政策についても公明党は賛成していますが、少子化は貧困層が拡大し、生活において経済的余裕や将来への見通しが立たない若者が増えた事が大きな原因であり、また移民受け入れによる経済的な恩恵は、しかし治安悪化や政情不安ばかりを招く為にその将来的なリスクと併せて考えた場合、一時の経済効果の為にその後数千年以上も廃棄物を管理し続ける為に莫大な費用をかけ続けねばならない原発同様に一時的で微々たるものです。
    更にその経済的な効果というのも、「経団連」が推し進め現在問題視されている「外国人技能実習生制度」のように、外国人達を最低時給以下、時にその半分以下の時給で長時間過酷な労働を強い続けるなど外国移民達を奴隷のように扱い続ければ確かに現在の経団連関連企業のように外国人(奴隷)労働者を使っている連中とその周辺「のみ」は儲けるでしょうが、
    しかし一方で治安維持や教育や医療など移民達への様々な対策や生活保障等の為に税金が支払われて失われる為に、むしろ国の財政は逆に更に圧迫される可能性の方が高く、それは日本に密入国し不法滞在していた者や朝鮮戦争の難民としてやって来た者達も数十万人いるという在日韓国、朝鮮人達が、
    例えばかつて彼らの内の23パーセントが生活保護を受けていて2016年時点においても尚4パーセント程度が受けており、それは日本全体における生活保護需給率である1.7パーセントよりも未だずっと高い水準にある事や、また大阪や尼崎において数十年以上もの間朝鮮学校の土地代が無償であったり相場の100分の一程度で済まされていたり、更には三重県の幾つかの自治体では彼ら在日韓国、朝鮮人の住人税が半額であったりと、これら在日韓国、朝鮮人と言った移民達が国の税収に貢献しない処かむしろ負担になってきていた事からも、
    これから増える移民達についても彼ら在日のように国の財政を更に圧迫していく存在になっていく可能性は極めて高いと言え、公明党が賛成し自民党と一緒になって推進しようとする消費税増税や移民政策は、日本を更なる苦境へと追い詰める政策であると言えます。
    2018年3月の現時点においても、在日韓国、朝鮮人のみではなく在日外国人全般についてですが(しかし割合的に殆ど韓国朝鮮人でしょうが)在日外国人への生活保護費は既に「神戸市だけで」一年間に59億円もの金額の税金が使われ続けている事が発覚しています。
    そうやって移民を引き入れて元々の日本の庶民一般の生活や治安を経済の為だの国の財政の為だのと言って悪化させようとしておきながら、一部の富裕層や莫大な金額の税金逃れには目を瞑り続けているのですから、このような政策や方針に賛同する公明党を支持した所で、未来があるは到底思えません。それでも学会員の方々の多くは、これは自民と協力して政権を取る為の一時的なもので、ついに公明党が完全に政権を握れば、財政問題や少子化問題を解決する為のより良い方法を取るように公明党は変わるなどとでも思って、ただ只管に今までのように公明党を盲目的に支持し続けようと思われるかも知れませんが、
    しかし、共産党が政権を握るまで共産主義によって平等な社会が訪れると只管に信じて戦ってきたロシアや中国や朝鮮半島の多くの人々が、その後、政権を握った共産党によって大粛清やら文化大革命やら大躍進やらで、数千万人もの人々が虐殺や飢饉によって死ぬ地獄に遭遇し、今尚共産主義の理想である平等な社会からは資本主義国よりも程遠い世界に囚われ続けているように、果たして無理を通せば道理が引っ込むとばかりに公明党を支持し続ける事で未来が良くなると頑なに信じ込んでいる創価学会員達も、理想を信じ共産党の為に命を張り人生を捧げた末に共産党に粛清された者達が見たような地獄を見る可能性は十二分にあるように私には思われます。それは彼らの「信仰」そのものについても同じ事が言えますが。

    このように富裕層に厳しくすれば、資産家や企業が海外に逃げるという懸念をよく見ますが、しかし海外への逃亡は、ただでさえ「よそ者」として、下手をすれば移転先の国自体からさえ冷遇される可能性もある上に、元々の現地民や企業などの反発を押しのけて新たな競争の中で経済基盤を開拓しなければならない等、実際に海外での事業拡大に失敗しただけで大企業が倒産まで追い込まれる事があるように、富裕層と言えど海外への逃亡は決して容易ではありません。
    また一時は海外で成功したとしても、韓国企業に引き抜かれた日本の技術者達が技術を吸い取られて用済みとなった途端に首を切られて捨てられたように、よそ者に対する反感の中で、移転先で経済基盤を維持し続ける事も決して容易ではなく、それらリスクがある中で富裕層達がそんな簡単にポンポンと海外へ逃亡するとは到底思えません。仮にそんな簡単に逃亡したとしてそんな連中の大半は失敗してすぐに落ちぶれていく事でしょう。
    もっとも、現在の日本の産業の衰退の大きな原因である技術者達の海外への流出は、多くの日本企業がこれらの技術者達が特許技術を開発するなどの大きな成果を挙げても数ヶ月分程度のボーナスなどの僅かな報酬で済ませるのみで、技術者達の権利や権限を軽視し使い捨ての歯車程度にしか扱っていなかった事がその大きな原因であり、その割には自力では殆ど何も生み出せない天下り官僚やら企業役員やら投資家ばかりを何処も厚遇し続けており、おかげで他人の功績を掠め取り責任を他所に押し付ける事ばかりに優れそれに腐心し続けるような者ばかりが残り、金を集める能力や権限だけはあるが物自体の生産能力や活力などは衰え続けて竹のように中身がスカスカな状態になり続けており、
    2017年に発覚した神戸製鋼が長年に渡ってデータを改竄し続け性能基準に達していない製品を売り続けていた事や、そして2018年3月に発覚した安倍政権の支持で財務省が行いその罪を安倍政権が財務省に全て押し付けようとした森友学園などを巡る一連の「公文書偽造」事件、及びこれに纏わる一連の官僚達の「示し合わせたかのような」連鎖的な自殺や、右翼でありながら安倍政権に反対していた西部氏の「両手を縛られた状態での」自殺、更にはこの公文書偽造の表面化を受けて安倍政権が行った、公文書に本来記すべき出席者や記載内容をその出席者や責任者が記載するかどうか自由に決めてよいという、公文書の正確性、信頼性が著しく損なわれ、実質的にいくら公文書を改竄しても合法になってしまう「公文書管理法の改悪」などは象徴的な出来事だと言えますが、或いはタックスヘイブンの利用が規制される程度で自己の利権を守る事のみに拘る連中が日本を捨てるというのなら、その方が結果的には日本の為になるのかも知れません。

  • #7

    蟻巣 (月曜日, 26 3月 2018)

    2003年に発覚した児童誘拐と児童買春に関する事件である「プチエンジェル事件」は、一応は単独犯とされていますがしかし個人にしては大規模過ぎるなど不自然な点が多くその裏には人身売買組織が関わっていたと言われており、またその「顧客リスト」には高級官僚やら大企業役員らの名前が並んでいたそうですが、このように単独犯とされているがその割には不自然な点が多く、実は組織的に人身売買が行われていたのでは無いかと言われる事件として他に「ペッパーランチ(現いきなりステーキ)レイプ事件」や、角田美代子とその周辺の金髪デブ軍団とも言われていた在日朝鮮人達によって行われた尼崎での連続変死事件や、2017年で座間市で起こった9人連続バラバラ殺人事件などが挙げられ、近年金に物を言わせて風俗で豪遊し日本で梅毒感染者を急増させている中国人富裕層達のように必ずしも「顧客」が日本人とは限りませんが、しかし持て余した金を人身売買に使い犯罪組織へと流すぐらいならやはり金を持て余さないようタックスヘイブンぐらいは規制されて然るべきであるよう私には思われます。
    タックスヘイブンは犯罪によって得た金を足が付かないように綺麗な金に替える「マネーロンダリング(資金洗浄)」にも使われるそうですが、経済ヤクザと言われバブル前後に巨額の利益を挙げた宅見勝が金丸信や瀬島龍三といった政財界の大物達と強いつながりを持っていたように、或いは政治家や企業社長がヤクザと繋がりがあるという話をよく聞くように、或いは寿命を削り命がけで働く福島原発作業員達のせめてもの給料の大部分を暴力団(のフロント企業)がピンはねしているのを東京電力やその傘下企業や官僚が黙認(協力)しているように、最近締め付けが厳しくなっているとはいえ日本の政財界はどうも暴力団や(或いは規制が無い為に締め付けられている暴力団に成り代わって芸能界などで台頭し半ば脅迫的にAVへの斡旋や性接待の強要なども頻繁に行っているという「関東連合」などの「半グレ」や外国人マフィアといった)犯罪組織と強いつながりがあるようであり、安倍首相もかつて週刊誌に山口組の元金庫番と一緒に写っている写真が暴露されていましたが、日本政府がタックスヘイブンの規制どころか話題すら避けるのはこの点からでもあるのかも知れません。

  • #8

    田布施 (月曜日, 26 3月 2018 04:53)

    公職員について、よく「同和枠」などと同和地区(被差別部落)出身者を特別に採用する枠が存在しておりその枠の採用者は一般的な公職者よりも優遇されると言われ、事実奈良県において部落開放同盟員の職員が仮病を理由に5年9ヶ月間の内8日しか出勤しなかったにも関わらずその期間の給料2700万円が満額で支給された「奈良市部落開放同盟不正受給事件」(通称ポルシェ中川事件)が2006年に発覚しており、この「同和枠」をはじめ他にも同和地区出身者に解放同盟(正確には大企連)の傘下企業への税が減免され脱税の温床となっている「七項目の確認事項」による「同和減免」などの「同和利権」が存在しています。現在においても明治4年の解放例以来150年近く経ても尚、同和地区出身者への差別というものは根強く残っている「そう」であり、このような部落差別を無くす為にこのような同和利権が必要だったという事なのでしょうが、しかし上記の事件のような不正受給事件などは遥かにその必要な措置とやらを逸脱しており、この奈良市の不正受給の犯人はこの期間中にも自身の不正受給処か妻の会社の営業の為に開放同盟の名をちらつかせて奈良市役所を脅して仕事を要求し続け、
    仮病の診断書についても担当医師はこの男の「言いなりになるしかなかった」と無理に作成させられ続けたそうであり、このように部落解放同盟員が行政組織や企業や個人などに対して「差別」を盾に糾弾などと称してヤクザ同然の恫喝や脅迫、時には暴行や監禁といった犯罪行為まで行った例としては他にも「八鹿高校事件」「矢田教育事件」「八尾市入札妨害恐喝事件」「天理西中学校事件」などが挙げられ、これらの事件が存在しているとおり部落解放同盟という組織が非情に暴力的で犯罪体質である事は度々指摘されており、それはどうやら「同和枠」で採用した職員が(異常な頻度で)次々と不正行為を行った「京都市環境局不祥事」からも示唆され、また、それらの不正行為を「差別」を盾に行政さえ含む周囲に黙認させ続け、その為に単なるクレーム行為を逸脱した恫喝や脅迫同然の激しい「糾弾・確認」行為が蔓延し更には同和地区住民を使って集団での「つきまとい」や「いやがらせ」「いじめ」など、正に先に挙げた「集団ストーカー」のような行為を彼らは行い続けているともよく言われていますが、これは「八鹿高校事件」で当初解放同盟と対立する共産党系の報道機関しかマスコミは報道せず、現在に至るまで同和関係の問題について各種報道機関をはじめ多くの機関や企業や行政組織が及び腰になっている点や、また日本全国の多くの地域において一般人にまで広く同和問題が「タブー」扱いされている事がその証左であると言えるでしょう。
    このように解放同盟自体がかなり暴力体質、犯罪体質を持っている事もあってか同和地区住民自体がよく粗暴でチンピラや不良みたいな連中ばかりであるというような事はよく言われていますが、それも解放同盟が上記のような暴力にものを言わせた事件を度々起こし続けているのだから仕方が無い事なのかも知れません。
    実際、複数のメディアで公安関係者などが暴力団構成員の大半が同和地区出身者である事を明かしており、「飛鳥会事件」の犯人などは実際に解放同盟員であると同時に暴力団組員であり、周囲への「訴え方」についても部落解放同盟と暴力団の「やり方」はとてもよく似ています。このような犯罪や暴力方面以外にも、多くの人間が気にしていないような些細な言い回しや言葉に過敏に反応して企業や個人に対してクレームを入れて常用されていた言葉さえ無理矢理変更させる「言葉狩り」を彼らが頻繁に行っている事も有名であり、彼らは自分達が差別されていると言いますが、このようにチンピラやヤクザのように粗暴で集団で悪さをし、或いは些細な言葉程度で過敏に反応し謝罪や時に賠償まで求めてしつこく詰め寄ってき、更には「立花町連続差別ハガキ事件」のように何もしていなくても自作自演で差別されたと訴える事さえもあるような連中と出来れば関わりたくはないと思うのは当然の事でしょう。明治維新後の解放令から150年を経てなお彼らが差別されているというのは、「生まれ」の問題よりも遥かに、彼らのこのような体質が原因であるとしか言えません。
    ヤミ金などが借金を踏み倒された場合、借金をした本人だけでなくその周辺の(時に連帯保証人ですらない)人物に対しても借金の返済を求める事がよくあるように、暴力団が攻撃された(と言う事にした)人物に対して「落とし前」として本人の所属団体や周囲の人々へと攻撃を行う事も多々あり、同和地区住民達もまた例えば子供などが差別的な発言をした場合、その親や教師をはじめ学校や地区組織にまで文句を言い、更に行政にまで働きかけようとするように、彼らもまた本人の周辺にまで「落とし前」を求める体質を強く持っているようであり、「天理西中学校事件」においては学校とは無関係な一般人が生徒に対して差別発言をした事が何故か学校への抗議運動へと発展するというまるでイチャモンを付けられればきっかけは何でもよかったと言わんばかりの意味不明な展開を見せていますが、ところで部落解放同盟の人員は最盛期で最大18万人程であり、
    そしてそんな最大でも日本の全人口の0.2パーセント未満の人々のみに対して同和対策事業費として1963年から2002年の33年間だけで15兆円もの金が(生活保護費や医療費や年金などの一般的なものとは別に)補助金として彼らに使われており、解放同盟設立から70年以上、前身の全国水平社時代も合わせれば90年以上もの間活動し続け、全人口の0.2パーセントにも満たない彼らの為に長年に渡り十数兆円以上もの金をつぎ込み「同和枠」や「同和教育」など教育や就職などでも支援し続けたにも関わらず、同和地区からは暴力団の大半が同和地区出身者と言われる程の大量のヤクザを輩出し、ヤクザ以外の者さえ上記のようにヤクザ同然の犯罪行為に手を染める者が多いなど、果たして同和地区住民の「まっとうな」社会的立場の確立を目的とする部落解放同盟をはじめ各種の同和団体は一体今まで「何をやっていたのか?」という話であり、「彼ら自身の価値観」からすれば、それら同和団体に対して「どう落とし前をつけてくれるのか?」と問えるような話であると言えるでしょう。私は(触れこそそれど)問う気はありませんが。
    これら同和団体は各学校へと「道徳教育」として部落差別に対する教育を時に脅迫まがいの方法まで用いて行わせていますが、果たして「道徳教育」とやらが「本当に必要だった」のは「どちら」だったのか?という話である。「同和地区住民がこれほど荒れているのはそれ程差別が根強いからだ。まだ我々一般人の「協力」が足りないせいだ」と言う者もいるでしょうが、そう言う者達は一体どうやって我々一般人に「更なる協力」をさせる気なのか?「協力」させる為に我々にもっと金を出させ、更に強い圧力をかけて我々の言動を縛ろうとでも思っているのなら、もはや何も言えないでしょう。
    同和地区住民に成りすまして利益を得るエセ同和行為というものも問題視されていますが、部落解放同盟の前身である全国水平社は戦中の1940年に解散し、その後部落解放同盟は終戦後の1946年に設立されましたが、その間5年以上もの空白期間が存在し、更にその間空襲によって全国水平社の名簿などの資料が焼けて失われたり、或いは構成員が戦死したり、また被差別部落地域自体が焼失した例も多数あったと推測される中、
    「背乗り」さえ行われていた戦後の混乱期の中で果たして彼らがどうやって「同和地区」や「同和地区住民」を認定していたのか?江戸時代の被差別部落や本来のその地区代々の住民だとどうやって確認していたのかについて、浅学ながら興味深い所ではあります。半数以上が同和地区出身者という、まるで同和地区住民の組織と言わんばかりの暴力団ですが、構成員の同和地区出身者の比率の異様な高さを見ても、どうも同和地区から暴力団員が出るというよりはむしろ…。もしそうであったなら可哀想だったのは欲の為に巻き込まれて住民と言う事にされおこぼれも貰えず差別だけを受ける事になった子供達や無関係な近隣住民の方々などでしょう。
    私自身部落問題は学生時代道徳の授業で触れた以外身近にはなく深く触れたのは上記の数々の「不祥事」を知った事がきっかけであり、もはや世代交代も進み移転も増えて土地に縛られなくなった事から、彼らが「自ら騒がなければ」部落差別はもはや殆ど消え「かかっていました」が、しかし「利権」とそれに纏わる「不祥事」は最近でも起こり続けており、彼らが本気で差別(利権)を求めていないのなら、騒ぐのではなくまず自らを律するべきであると言えるでしょう。
    別に部落出身でなくとも「育った土地」で差別(区別)される事はよくあり、当然「家柄」や、まして本人や親族の「素行」や「経歴」、そして個人的な「好悪」などで区別される事も社会一般ではよくある事です。そしてこれらの要素は土地柄や家柄などの環境によっても人の性格や能力などにある程度の傾向や「相性」が出る通り、受け入れるかどうかの判断基準の一つとしてある程度は認められるべきものでもあります。

    ハンデを乗り越えて成功したとして一躍有名になったある身体障害者の方が、しかしプライベートでは自らの障害を利用して周囲の人々を召使いのように扱い不倫まで行っていた事が数年前にスキャンダルになってましたが、女性の権利関係についても男女平等を主張しつつも同時に男性は女性の代わりに苦労して我慢し続けるのが当然(外食の際には女性に必ず奢るべき、男性向けのエロ本などは教育に悪い(目障り)から規制しろしかし女性向けのレディースコミックやBL本などは規制するな、痴漢は絶対に有罪にしろそれが例え冤罪であっても仕方がない、等)という矛盾した主張を平気で行う者も多々おり、
    近年は障碍者や女性をはじめ、LGBTや移民難民などの人権の主張が強くなりこれに考慮するように様々な規制などが世界的にも敷かれるようになっていますが、上記のように社会的な弱者がそれを利用して行き過ぎた待遇を求め、時に不正さえ行い周囲もそれを黙認し従ってしまう「逆差別」も増え続けており、その最悪の例の一つが2014年にイギリスの「ロザラム」という地方で発覚したパキスタン系移民達が1400人以上もの少女達を日常的に性的暴行や人身売買を行っていたにも関わらず、人権問題になる事を恐れて誰も告発出来なかったという事件ですが、「人権屋」という言葉がありますが、どんな立場であろうとそれを利用して不正な行為を働こうとする者は一定数おり、社会的弱者がある程度は守られるべきである事は確かとはいえ、差別や逆差別を訴える者達については例えその主張が一見正しく見えてもそう主張する者達の素行や周囲との関係などをこそ常に良く見てその主張を受け入れるかどうかを判断するべきであるよう私には思われます。

  • #9

    arisu (月曜日, 26 3月 2018 04:54)

    2017年12月、大阪寝屋川市で33歳の女性が実の両親である柿元泰孝、由加里両容疑者によって16年以上もの間外部との接触を完全に断たれた状態で、広さ二畳の暖房器具も娯楽道具も家具も窓すらも無い劣悪な部屋に監禁され続け、一日一食しか取れないまで衰弱させられた末に凍死するという虐待死事件が起こりましたが、被害者の女性は犯人である両親の言によれば精神病を患い暴れるので閉じ込めていたという事ですが、しかしまだ被害者が監禁される前の同級生達の言によりますと、子供の頃とは言え被害者女性は精神病を患っているような気配は無かったそうであり、また身体に痣があったり服を買い換えて貰えなかったりとこの頃すでに被害女性が両親から虐待を受けていた事が示唆され、対して両親は被害女性を部屋の中に部屋がある二重の部屋に閉じ込めた上に内部だけでなく外部にも十台以上もの多数の監視カメラを設置して監視を行い続け外部に露呈する事を異常に警戒しており、その癖被害女性を碌に歩く事さえ出来ない程に狭く娯楽となるようなものさえ無い上に簡易トイレが部屋の中にある為に常に悪臭が漂うような部屋に閉じ込め続けた上、発見時被害者は床ずれが酷く殆ど骨と皮だけのような状態で体重も19キロしかなかったそうですがここまで被害者が衰弱し続けても平気で放置するなど明らかに両親の方に強い悪意が精神疾患でも無ければ取れないような行動をとっており、被害者が精神病を患っていたという両親の言はとても信用に値しないものと言えます。
    しかしこの両親は被害者の「障がい者年金」を「受け取り続けて」おり、被害者が精神疾患があると診断された事「自体」は確かなようですが、しかし一方で被害者は寝屋川市の障がい者福祉を一切受けておらず、このような状態の両親が数十年もの間寝屋川市から障がい者年金を受け取り続ける事の出来た不自然さ、そして同級生達の言によると被害女性は小6の途中から学校に来なくなり中学にもいなかったそうであり、その事について担任などに問い詰めても「事情がある」と取り合ってくれなかったそうであり、この行政や教育機関の異常な対応を見て、私は柿元泰孝、由加里両容疑者、或いはその一方が「同和地区住民」である部落解放同盟の関係者だったのではと考えています。だからこそ、周囲の公的機関も彼らについて異常なまで「不干渉」を貫こうとしたのではないかと。
    先に挙げた「奈良市部落解放同盟不正受給事件」では犯人の男は医師に偽の診断書を作らせていますが、この被害女性の精神疾患があるという診断についても恐らくほぼ同様の事だったのでしょう。もしこの事件がこの通りであったのなら、この被害女性は行き過ぎた同和政策の被害者でもあったと言えるでしょう。
    この事件が本当に部落絡みの事件だったのかどうかは分かりませんが、しかしこの事件は世間で度々起こっている障がい者施設などを運用するNPO法人などが補助金を受け取りながらも障がい者などの保護対象となる本人に対しては補助金分のサービスすら与えない処か虐待さえ行っていた事件などと本質的には恐らく同じであり、このように「差別」を謳う団体やその関係者が本当に保護されるべき人々を利用して公的機関などから金を騙し取った上に、保護されるべき人達への被害がその団体によって隠され続け深刻な事態に発展する事も、このような「過度な保護」を求める「人権屋団体」の看過する事の出来ない重大な欠陥であると言えるでしょう。
    人権とは違いますが著作権についても、著作権保護の名目で登録楽曲を使用した際に使用料を徴収するジャスラックは、地方の小さな音楽教室どころかアーティストが自分の曲を演奏してもアーティストから使用料を取る上にその使用料がそのアーティストに還元されない事さえあるというただジャスラック職員が肥えるだけで何の為にある団体なのかわからないようなおかしな事をやっておりよく著作権ヤクザなどと言われていますが、(欠陥のある)法律上の契約に基づくとは言え、このジャスラックや或いはNHKなどについてもまた、人権団体と同じく「○○権」を守る事を名目にした「権利団体だけ」が過剰に力を持ってしまった故に腐敗し暴走した結果の悪しき例であると言えるでしょう。

    私は宗教人である為にあまり書きたくはありませんが、ここまで金について好き勝手に書いた手前、宗教法人の収入への課税についても書くべきでしょう。
    2017年12月に発生した富岡八幡宮での宮司殺害事件で犯人である宮司の弟が何億もの金を湯水のように使うような生活を送っていた事が判明していますが、盲目的信仰心から多額の布施が集まる上に無課税である為、やはり宗教団体も特にその幹部などには腐敗が蔓延し不正の温床となる事がよくあります。信仰の為ではなく幹部連中の贅と不正の為に使われ世に害悪を垂れ流すぐらいならば、確かにこれら宗教法人の収入についても課税は行われるべきでしょう。それで無くとも宗教の目的の一つは世の人々の救済であり、国の予算が足りず国民一般が貧困に喘ぎはじめたならば、宗教が金を出して少しでも国民を楽にするべきであるというのは道理ではあります。
    しかし、必ずしも資産と信徒数が多い宗教ほど間違っていて、また小さい宗教が正しいという訳ではありませんが、金や権力に対する執着の薄さからどうしても比較的正しい在り方をしている宗教ほど資産に乏しく信徒数も少なくなる傾向があり、下手に課税をすると巨大だが間違った宗教ばかりが残り正しいながら弱小な宗教が消えてしまう恐れが出てきます。その為、宗教法人へと課税する場合、所得税と同様に収入が大きければ大きいほど徴収する税の割合が高くなっていく「累進課税制度」による徴収にするべき、それも所得税などよりも税率の変化が極端な制度にするべきであるよう私には思われます。これは巨大になりすぎた宗教がその末にオウム真理教のように暴走する事を防ぐ意味でも、また追い詰められた末にごく少数の者達が凝り固まって小さな団体がカルト化する事を防ぐ意味でも都合がいいはずです。

  • #10

    tabuse (月曜日, 26 3月 2018 04:54)

    初の自公連立政権である小泉内閣で推進された郵政民営化や、また人材派遣会社パソナの会長の竹中平蔵と共に行い現在貧困層の拡大と少子化進行の大きな原因の一つとなっている「労働派遣法改正」などについても、実は小泉内閣が考えた事ではなく、アメリカから日本へその要望を伝える「年次改革要望書」という文書に記載されていたものであり、小泉内閣は、実はアメリカの要望に応えただけ、アメリカの「言いなり」になっただけです。この「年次改革要望書」には、「消費税増税」や「移民政策推進」などについても記載されており、消費税の8パーセント増税自体は民主党政権時の野田内閣時に提案されたものですが、しかしそれを破棄せず決行したのは「自公連立政権」である安倍内閣でした。他にも自公連立政権の政策にはこのアメリカからの「年次改革要望書」の影響が強く反映されており、つまり自民党、及びそれに追随する「公明党」は、アメリカの言いなりになって行動している面が強いのです。
    創価学会員達の中には、公明党は中国や韓国などの為に活動していると思っている者も多いようですが、しかし実態としては自公連立政権、及び「公明党」は、アメリカに媚を売りアメリカに尻尾振ってアメリカの言いなりになっている「アメリカの犬」であると言えます。それに協力している学会員達についても。この「年次改革要望書」は、民主党政権時代には一旦廃止されましたが、しかし「自公連立政権」である安倍内閣の時に再開されています。他、福島原発事故でその対応の不手際から菅元首相や枝野元内閣官房長官をはじめ民主党政権にばかり批判が向きがちですが、2003年に福島原発から電源喪失時に作動する非常用冷却装置を取り外す事を議会決定し、事態をより深刻化させた原因の一つを作ったのは自公連立政権である小泉内閣でした。
    現在の安倍内閣にしても、しきりに経済成長をうたっているだけあって企業が溜め込んだ資産である内部留保は法人税を引き下げた事もあって過去最大の400兆円に達し公務員の給料も上がり続ける一方、労働者に支払われる分の給与の割合を示す「労働分配率」は下がり続け非正規雇用率は過去最大に達し、年収200万以下のワーキングプア層も2012年の第二次内閣発足以来増加し続け、年金や生活保護費などの社会保障費や介護報酬も削り、体感としても食料品などは値段が上がる一方で目に見えてその内容量は減り続け、国民全体の消費支出も減り続けています。韓国や中国や北朝鮮、又は国内左翼への強気な姿勢が若年層の支持に繋がっている一因ですが、
    しかし戦中の軍艦島(端島)での朝鮮人労働者を「うっかり」強制徴用だとして世界遺産に登録したり、慰安婦にも謝罪し国際的にその存在を認めたりとやってる事を見れば日本が韓国(人)に対して非があるように見えるように動き続けており、経済や外交以外でも医療や農業などが外国との競争に晒されそれらの安全で安定した供給を揺さぶる恐れのあるTPPを推進し、また種苗法を廃止して日本固有の作物やその栽培農家が衰退し日本農業の脆弱化を招くような政策を行い、また水道も自由化しインフラである水道事業を民間企業に任せてその品質と安全性が脅かされる事に繋がるような政策も行うなど、派手な国粋パフォーマンスの陰で着実に日本が更に追い詰められ衰退に向かう事に繋がる政策を多数行っています。

    一代限りの「F1品種」や「遺伝子組み換え品種」などを扱う「穀物メジャー」の一つである「モンサント」社は進出した先で地元農家を巨額の訴訟などによって潰し在来品種を追いやり続けた事やその製品の環境への悪影響から世界中で問題視され、安倍政権が行った種苗法廃止はTPPによってモンサントのような多国籍企業が日本に進出した際に日本の農家と作物を追いやって外国企業のF1種や遺伝子組み換え種などばかりが作られるようになる事に強く貢献するものであり、
    また、既に日本に進出しているフランスの「ヴェオリア・ジェネッツ」社などの「水メジャー」は、実際に国に代わって水道事業を運営した際「何処も例外無く」、料金の値上げや杜撰な施設管理による水の漏洩事故や水質の悪化など当初期待していた事の真逆の事態が起こり続けており、特にIMFの薦めでアメリカの「ベクテル社」と契約したボリビアでは水道料金が4倍になった上に十分浄化されていない水が流れるようになり、更に料金の払えない世帯は容赦なく断水され共用の井戸や貯水槽にまで課金された為に汚水しか飲めなくなった多数の貧困層が命を落とし、南アフリカでもフランスの「ジェネッツ(現ヴェオリア・ジェネッツ)」社とスエズ社、イギリスの「テムズウォーター」社と賄賂によって契約した後、貧困層の水を止めた事で同国史上最悪のコレラの大流行を発生させ多くの死者を出すなどの事態が起こり、フィリピンのマニラでも民営化後に料金が4~5倍になり公共の無料の水道施設が全て使用禁止にされたなど散々な事態に陥り、
    これらの国は勿論、ベルリンやパリやアトランタなど先進国の都市でさえ問題が多発した為に水道事業を買い戻して再公営化し、結果として巨額の損失や債務だけが残っただけとなるような事態が多発しており、日本でも先述の「ヴェオリア・ジェネッツ」が施設の一部を管理している松山市では、料金について松山市はヴェオリア側に料金の決定権は無くヴェオリアとは関係が無いと言いながらも、実際にヴェオリアに委託して以来それまで殆ど変動が無かった水道料金が一気に2.5倍にまで膨れ上がったという事が起こっています。(以前から続く水不足などが原因だというならヴェオリアへの委託前に既にこのような急速な値上げが起こっていたはずである。)
    また同社に委託した大阪府の堺市では同社の委託職員が水道料金を1900万円分着服していたという事も起こっており、安倍政権の麻生太郎大臣は2013年にワシントンで日本の水道を全て民営化すると宣言するなど長年日本の水道事業を民営化しようと推進し続けており、上記ヴェオリア社の経営者の妻がこの麻生大臣の娘であるというような話までありますが、いずれにしろ、これらの政策を放任し続ければ将来的に食料品や水道料金の値上げ処か、上記で挙げた他国での事態のようにその供給さえ侭ならない事態に陥る事となっていくのは明白でしょう。

  • #11

    tabuse (月曜日, 26 3月 2018 04:55)

    2018年1月6日、韓国製、韓国行き予定のイラン企業所有のタンカー「サンチ」と中国の船が中国のEEZ(排他的経済水域)内で衝突し、その後タンカーは8日間も漂流し続けどういう訳か1月14日に日本のEZZ内に移動して原油を大量に残したまま沈没。中国側の乗組員の死者は0ながら、イラン側の乗組員は全員死亡し、世界的に見ても2010年のメキシコ湾原油流出事故に次ぐ過去最大級の原油流出が日本近海、それも親潮と黒潮に乗って日本全域に拡散するような場所で発生しましたが、2月3日現在においてさえ、安倍内閣はこの事故について殆ど放置しているとさえ言える程度の対応しかとっていません。
    この事故では特に過去類を見ない量のコンデンセートという無色透明に近く海面上に浮く性質を持つ毒性の強い軽質原油が大量に流出していますが、漂着する可能性の高い沿岸地域の住民に対してもその危険性についての勧告などさえ殆ど出ていないようです。この事故については普段沖縄で環境破壊から米軍基地反対を叫んでいるパヨク連中も中国船のサンゴ大量密漁によるサンゴ礁破壊と同様に何故かだんまりですが、この事故は海外では「日本の海がもうすぐ死ぬ」とさえ言われて事故直後から大々的に報道され、事故を起こした中国は勿論ですが日本の対応の不味さについても批判が起こっていますが、
    日本のマスコミにおいてはその深刻さと重大さに比して殆どその報道は皆無と言っていいほど触れられておらず連日相撲や東京大雪などばかりが報道されていた始末であり、これは同事故より小規模ながら連日報道されていた「ナホトカ号」の事故の時と比べても異常であり、また、日本のネット界隈でさえこの事故の話題性は低く、事故を起こした「中国側への配慮」が色々と透けて見える事態となっています。2010年のメキシコ湾での流出事故では、事故を起こしたイギリスの企業(BP)が被害地域に対して一兆円以上もの巨額の賠償が命じられているそうですが、事故を起こした中国(とイラン)が賠償を行ってくれるかどうかは、今の日本の体たらくからもかなり怪しいかも知れません。

  • #12

    tabuse (月曜日, 26 3月 2018 04:56)

    私はかつての民主党(後の民進党、立憲民主党)の支持者であるという訳ではありませんし、また特定の政党の支持者という訳でもありません。
    当時の民主党政権の対応の如何によって原発事故を押さえ込めたかどうかの是非を置いておくとしても、SPEEDIを公開しなかった事やヨウ素剤を配布しなかった事等、福島原発事故における民主党政権の対応の不手際が原発事故の潜在的、将来的な危険性を高めた事は事実であり、また財政面などに関しても決してクリーンだったとは思っていません。ヤミ献金を受け取り、また北朝鮮を何度も訪れ蜜月の関係を持っていた元自民党副総裁の金丸信と共に無駄な公共事業の為に公債を大量に発行させてバブルの前後に日本の借金を大きく膨れ上がらせ、
    その周辺で不審死が続出した西松建設事件をはじめ土建屋関連での数々の汚職疑惑や諸外国への売国政策に協力した疑惑を持つ小沢一郎が党の中心であった事もそうですし、最近でも新たなタックスヘイブン文書である「パラダイス文書」には、元民主党の鳩山由紀夫元首相の名が記されています。また外交における媚中媚韓の方針などについても批判的な考えを持っています。
    先ほど日本の在日達には密入国者や朝鮮戦争後に来た者達も多いと書きましたが、
    確かに終戦直後、戦勝国を名乗って日本各地で暴れ出しGHQから「三国人」と呼ばれ、「三代目襲名」などでも書かれている(描かれている)通りに各地で狼藉を繰り返したり、駅前の一等地を不法占拠したり盗品や闇米などを資金源にしたりして今の日本のパチンコ産業やサラ金や闇金などの礎を築いた者達がいたり、
    或いは朝鮮駐進軍だのと言って新聞社などを襲撃して言論弾圧しようとした者達などをはじめ、終戦直後から日本に留まっていた在日達はいますが、しかし終戦後日本から殆どの在日が朝鮮半島に帰っているように、
    また、最近になって戦争が起こる気配が出はじめていますが、朝鮮戦争以来これまで長い間、膠着状態とはいえ朝鮮半島全体が戦争状態にあった訳ではなく全体的には概ね安全であったにも関わらず彼らは祖国に全く帰ろうとはしていなかったように、彼らの大半は自らの意思で日本に留まっていると言えます。
    例えば彼ら在日には先に挙げた事や「通名」のように日本人には無い便利な「特権」があると言われていますが、自分の意思で日本に留まっている以上、既に4世5世となり日本に根を張って生きている為に無理やりにでも出て行けとは言えませんが、
    しかし日本でもはや何世代にも渡って暮らせているのですから、日本で生きていく上でそのような「特権」は、もはや彼らには不要であると言えるでしょう。
    朝鮮学校も無償化どころか不要です。通名も廃止するべきでしょう。外国人参政権など以ての外です。
    ここは日本です。
    韓国人朝鮮人として生きたいのなら朝鮮半島で暮らすべきなのです。差別が怖いというのなら、尚更「同胞」達の元に帰るべきでしょう。まして日本の中で日本人を憎み非難し貶めるような活動を行っているのであれば。
    戦争が怖いから帰れないというなら、何度も脅しを受けている通り日本もまた北朝鮮との戦争に巻き込まれる可能性がある為日本に留まるのではなく、北朝鮮との戦争に巻き込まれる心配が無い上に移民や難民を広く歓迎してくれて、各種人権団体の方々からは日本より遥かに平等で人権を尊重するすばらしい制度と人々で溢れていると専ら評判のヨーロッパ諸国へと移るべきでしょう。
    日本で差別に悩み日本を憎みながらミサイルに怯えて日本で暮らすよりはよっぽど有意義で建設的であり、日本を捨てるにはむしろいい機会であると言えるでしょう。それでも尚日本で暮らしたいのなら帰化するなりして日本人として生きるべきであり、それも嫌であるのならばせめて朝鮮人である事を隠さずに生きるべきなのです。誇りであるのならば尚更に。

    過去の罪がどうであれ、それでたかり続けていいという訳でも、まして何をしてもいいという訳でもありません。そしてその過去の罪とやらにしても本当にあったのかは極めて怪しいものであり、慰安婦問題にしても南京大虐殺にしても証言ばかりで全く客観的な証拠などは一切出ず、逆に慰安婦については高給を貰って売春婦として働いていたという証拠が出てきたり、南京事件についてはその証拠写真とされている写真がことごとく「通州事件」という中国人による日本人虐殺事件の時の写真の加工だったり、非武装の民衆ではなく中国軍(国民党及び共産党軍)の兵なり馬賊なりの死体写真を加工したものなどばかりであり、あれだけ大規模だと言われている事件であるにも関わらず写真が残っていない始末です。
    南京事件の戦犯と言われる者たちの証言についても、家族親族に危害を加える可能性を示されるなどして暗にでも「脅された」のなら、敗戦国で身を守る術などないのですから家族を守る為にでもそう証言する事でしょう。それでなくとも過酷な取調べ所か捕まった事に対する絶望感からのみですら、やってもいない事を取り調べ官に言われるままに認めさせられる「冤罪事件」などこの平和な日本ですら度々起こっているのですから。
    そして韓国については、例え慰安婦問題が事実であろうと、安倍首相が謝罪するまでもなく韓国に対しての戦争時の日本の罪は全て、1965年に結ばれた「日韓基本条約」によってその賠償は全て済んでいます。安倍首相は「余計な事」をしたのです。
    不可逆的解決だからこれを破ったらもう相手にしないと言っても日韓基本条約の時点で相手をする必要など無かったにも関わらずまた相手をしてしまった時点で、内閣なり与党なりが代わればどうせまた日本が韓国の相手をする事になる事なのは目に見えているでしょう。そうなれば(よりによって)国のトップである「首相」自身が慰安婦の存在を公式に認めたという事だけが残る事になります。
    そしてもし韓国が慰安婦合意を破棄したとしてもこの事についての国際的な批判について日韓基本条約を韓国が無視した時点で韓国への批判など何も無かった事からあまり期待は出来ないでしょう。ソ連の北方四島占領やイギリスの三枚舌外交など、条約破りや条約破り紛いの事も歴史上それなりに起こっている事ではあり、また日本自身もかつて諸外国と結ばされた「不平等条約」を覆しています。(しかし韓国の国際的な信用については例えばライタイハン問題など他の事でも多数「やらかしている」ので、慰安婦問題のみではなくそれとしてらの積み重ねによって韓国がこれからも国際的な信用を大きく失っていく可能性は高いですが。)
    既にもう慰安婦像を韓国中どころか世界中に設置するなど日本以外で慰安婦問題を喧伝し既成事実を積み重ねられはじめ、2017年10月には中国、北朝鮮、韓国の主張をそのまま取り入れた国連の人権理事会の暫定報告書にて慰安婦への更なる謝罪と賠償が日本に求められるなど、どの道放置は出来ない状況に着実に追い込まれはじめていますが。
    不可逆的に解決していると主張しても、たった10億ぽっちしか払わなかった事も相まって経済協力などを盾にしてヤクザのように不当な契約を結んで相手の言質をとって黙らせただけとしか他国には写らないかも(「そういう事にされる」かも)知れません。周囲の賞賛の声にばかり盲従する右に倣う事しか能の無いネトウヨ(ネトサポ)などはまた戦前のように国連を脱退しろなどと、それで孤立した事がパラノイア(被害妄想)的に軍部の暴走を引き起こし、結果的に敗戦を招いた大きな一因となったというのに過去を省みる脳みそすら無いかのようなアホな事を言うのかも知れませんが。

    私は在日達を日本から無理矢理にでも追い出すべきであると言っている訳ではありません。ただ在日達がいつまでも中途半端な立場で日本に集ろうとし続ける事を批判し、その状態を脱却するべきであると言っているだけです。右翼勢力の一部には在日達を追い出せと息巻く方達もいるかもしれませんが、しかしそれは実現困難な上に政情不安を招く可能性も高く現実的ではありません。また、もしそれを実行しようとするならば、関東大震災時の虐殺のように人道に反するとして批判されるような事も起こり得る事でしょう。
    私は南京大虐殺も従軍慰安婦も731部隊の生体実験も全くの嘘だと思っていますが、殺害された「規模」やその「原因」は「どうあれ」、関東大震災時の虐殺については本当に起こった事だったと考えています。

  • #13

    tabuse (月曜日, 26 3月 2018 04:57)

    日本の最近の嫌韓感情や反中感情の高まりから危機感を感じ、また、差別感情に嫌悪感を催す事からも在日達を擁護し、あくまで何処までも平和主義を標榜し、その為には例え敵意を剥き出しにして攻撃してくる相手に対しても何処までも「話し合い」で争いを回避するべきと考え続けている方もおられるかも知れません。「話し合えば必ず分かり合える」、「話せばわかる」と。
    ところで私の誕生日は「五月十五日」なのですが、この日は戦前「五・一五事件」が起こり犬養毅元首相が青年将校達に暗殺された日であり、また同時に、暗殺される寸前に犬飼元首相が青年将校達に「話せばわかる」と命乞いをし、その為に死して尚後の世においても「笑い者にされ続ける」事になった日でもあります。(しかしこの話は青年将校達の嘘で、真実は犬養元首相は命乞いをせずに「やるならやれ」と居直ったまま最期を迎えたらしいですが)
    果たして「話せばわかる」と思っておられる方々について何処までの覚悟があるのかは私にはわかりませんが、しかしその道を盲目的に突き進み続けた結果、最期には犬養元首相のように「死して尚笑い者にされる」ような事が無い事を私はただ願うばかりです。

    「平和主義」を標榜する方々については他にも思う所があり、例えば「憲法九条」を守るだのと言って日本国内で暴れまわっておられる方々がおられますが、しかし尖閣諸島をはじめ日本領海内に度々侵犯したり周辺国の領土を実効支配しようとしチベットやウイグルでは虐殺さえ続けている中国や、日本国内においても拉致を行い度々弾道ミサイルを発射し更には核開発さえ行っている北朝鮮、
    およびそれと未だ軍事的対立を続け更に竹島を武力で占領している韓国など、日本の周辺国さえこれだけ武力に頼り切り武力で好き勝手する物騒な国ばかりなのであり、更に世界を見るならばISIS(イスラム国)などの野蛮組織、野蛮国家など枚挙に暇が無く、平和主義を掲げる方々は、既に戦争を放棄し平和な日本で戦争反対を叫ぶのならば、これらの国や組織に赴いて日本の憲法九条の素晴らしさと、それによって日本が平和になったというその「威力」を説くなどし、それらの国などで憲法九条のような平和憲法をつくる為の運動をする等して武力の放棄と戦争反対を叫ぶのが筋であると私には思われます。
    それらの国の所業を全く無視して「大人しい」日本でばかりそんな事を叫ぶのは、「いじめ」が起こった際に「いじめっ子達」を止める処か注意すらせず、「大人しい」いじめの被害者にのみ「君が我慢し続ければ皆に迷惑がかからなくて全部丸く収まるんだよ」と言って泣き寝入りさせようとしているようなものです。なるほど日本で平和主義を掲げる人間達はこういう心根を持っているからこそ、平和主義を掲げる「左翼思想」の人間が多い「日教組」の教師達に、「いじめ」を見過ごし隠蔽する者が多いというのも頷ける話である。彼らは平和主義者とは名ばかりの、単に強い者や声の大きい者に媚びるだけの「事大主義者」どもである。

    憲法九条によって日本が平和になったというのなら、他の国においてもそれを広めるべきなのが道理であり、他の国においてもそれを広めなければ世界平和など実現し様も無いのですが、命が惜しいからなのか、左翼達はそんな事はしません。平和主義を掲げるのは自分が死にたくないからだ、というのは人間として至極真っ当な意見であると思われます。
    しかし、軍隊では何処も戦闘放棄や敵前逃亡は厳罰、時に死罪であり、また戦争に参加する理由も自らや家族を守る為である場合も多かったり、また戦争中においては当然自らや仲間は常に死の危険に晒され続けるのであり、果たしてそんな中で敵国の連中が「死にたくない」から争いを止めましょうと言って来た所で、「勝手な事言ってやがる」としか思われないでしょう。
    実際に争いに来る者達に対してそんな風にしか思われないような「平和主義()」「平和運動()」とやらに一体何の意味があるのかと私には思われます。まして彼らの運動が平和な現在の日本においてさえ世間一般の人々の感情を逆撫でし、むしろ世間一般の人々の中の反中嫌韓感情をより強め日本の右傾化をより深める結果にさえなっているのですから。

    日清日露戦争での二度の勝利の記憶と大陸侵略への期待が日本国民の目を曇らせた。北朝鮮のミサイルが頭上を飛んでもさして騒がれないように、海を隔てた外国での列強による植民地政策への恐怖は身近な貧困からの脱出への期待と生活向上の夢に比べれば弱い。貧困から、或いは劣等感や憧憬から現在の日本国民たちが再び戦前回帰を強く求めたとしても、もはや戦前のような「夢」を見る事は出来ないだろう。
    仮に国民が再び侵略の夢に酔いしれ、憲法が改正され軍隊が復活し徴兵制が蘇り軍がその力を強め、戦前のマスコミのように軍や右翼、或いは在郷軍人会のような軍関連組織に「圧力」(私刑や殺人を含む)をかけられ正当で僅かな批判すらも許されないまま軍部と戦争をマスコミが賛美し国民を再び戦争へと駆り立てる為に煽り始めても、
    そして、カルト邪教も含めた多数の、主に神道系の宗教関係者で構成され安倍首相や麻生大臣も参加している(国粋主義と見せかけてその実アメリカの「CSIS」(戦略国際問題研究所)と繋がりを持ちその出先機関の一つという)「日本会議」、及びそれに乗っ取られた「神社政治連盟」や「神社本庁」の一部などのように「戦前回帰」、つまり再びの軍部による独裁と暴走(「代理戦争」の為の日本の「盾」化。また暴走させて太平洋戦争のような「勝てる見込みの無い戦争」を行わせ、それを口実にした将来的な日本の「切り売り」)を強く求める者達の狙い通りに原発から核兵器を造り保有する事が出来たとしても、
    ロシアや中国どころか北朝鮮さえも核兵器を保有している現在において、(戦前の朝鮮半島併合時のように「向こうから」併合してくれと打診してきた場合などは除いて)日本が再び自ら他国への侵略に乗り出す事になる可能性は限りなく低いだろう。核ももはや抑止力としては期待出来なくなるだろうとは言え。

    平和を望む願いが間違っている訳では決して無いですが、しかし今の世界においては自衛の為の武力は絶対に必要である。均衡の中の平和にも限界があるとは言え。

  • #14

    tabuse (月曜日, 26 3月 2018 04:58)

    私はこの文章の内容が広がる事を望んでいません。またこの文章によって創価などを如何こうしようとも思ってはいません。
    およそ池田大作が「2たす2は5」だと言えば(250年を700年だと言えば)心の底からそう思い込めるような人間も多い学会員達に対し、この文章に書いているような事を言った所で話が通じるとは私は思ってはいませんし、またここに書いているような事を学会員達の前で公言する事は「極めて危険な事」でもあると私は思っています。
    しかしこのような邪教を完全に放置していてはどうにも悪い方にばかり進む事になってしまう為、せめて大事にならない範囲で少しでも啓蒙しようと思った為にこの文章を書いた次第です。だからこそ、この文章は出来る限りこれを受け取ったあなただけで留めておいてください。しかしもし、あなたの親しい人などが創価などの「南無妙法蓮華経」と唱える団体と関係があるのならこの文章の内容を、「バレないように」それとなく「知らせる」のも、或いはいいかも知れません。しかし危険なので創価などのそれら団体から抜ける事を薦めるべきではありません。

    もし学会員の方などでこの文章を読んで腑に落ちる所があり、日蓮の信仰を信じられなくなったならば、先に書いたように果たして今まで信じていたものを失くして不安に思われるかも知れません。
    例えば日蓮系以外でも天台宗などは妙法蓮華教を日蓮よりも前に最高の経典としていたので、もし改宗されるなら天台宗に行かれるのが今までの信仰からもまだとっつき易いかも知れません。
    また、仏教ではなく神道系であり、一応は元仏教系だった方からすればとっつき難いとは思われますが、私は、京都の「綾部」と「亀岡」に本部を置く「大本」という宗教団体の信者であり、私自身はその「大本」の教えを信仰している為、もし改宗されるならば私個人としては大本への改宗をお薦めいたします。
    なお、私がこのような事を書いているのは、あくまで私個人の個人的な感情や考えからであって、大本にも隠れて行っている為、この文書の作成、拡散について大本は一切関係が無いという事を断わっておきます。

    今までのような仏教系ではなく神道系に信仰を変える事に抵抗を感じられるかもしれませんが、神仏習合という考えがあるように神と仏とは決してかけ離れた存在ではありません。
    仏典によれば神よりも仏の方が格が上だとされているが、仏典においての神とは釈尊(釈迦)の生きていた時代から既にインドで広まっていた、現在のヒンドゥー教の前身であるバラモン教の神の事であり、仏典に言う所の神とは日本の神々やキリスト、ユダヤ、イスラムの神とは違う存在である。
    バラモン教は上の階級の者が下の階級の者に何をしても許されるという悪名高きカースト制度を生み出し、また釈尊が否定した無意味な苦行を人々に強い、苦行によってのみ魂は救済されると説く邪教であり、当然そんなバラモン教の神とは真正の神ではなく基本的に悪霊の類、或いは(歪められた)キリスト教が土着宗教の神を悪魔としたように卑小化されてバラモン教に習合された神である。
    故に仏典において仏より格下なのはバラモン教ヒンドゥー教の悪霊の神のみの話であり、日本の神々は基本的にそこには含まれない。だからこそ、神と仏とを同格と考えなければ成り立たない「神仏習合」という考えが成立すると言える。

    神の智慧が仏の智慧より劣っていると考えるのは誤りである。例え優れた哲学者であっても国や組織の運営などには全く智慧開かず無知蒙昧で無能極まる場合があるように、その分野ごとによって必要となる智慧の種類は異なり、どの分野においてもその分野毎の優れた智慧というものは必要なのであり、
    主として自然などの外的なる世界の運営に対して智慧を発揮したる相を神と見、主として人間の内面的、精神的なる事に対して智慧を発揮したる相を仏と見るような考え方も、一面においては可能であると言える。

    ヒンドゥー教(及びその前身であるバラモン教の影響を強く受けた仏教)はそのスケールが異様に大きく書かれているが、これは正に子供が意地になって数字だけを大きくさせたような物だと言える。ヒンドゥー教の前身であるバラモン教が邪教と書いたが、しかしその教えの全てがデタラメという訳ではなく、ヒンドゥーの教えの中にも正しい教えは多数含まれているという事を書いておきます。

    多神教の主神、或いは創造神のみを神と呼び、他の全ての神を天使とすれば、あくまで構造上はだが多神教は一神教と同じとなり、また、全ての物が神より生み出されたものであり、全ての物に神霊の分霊が宿っていると考えるならば土着宗教に多いアメミズム的な汎神宗教となる。
    仏神一体 一神即多神即汎神

  • #15

    arisu (月曜日, 26 3月 2018 04:59)

    「付加価値」と「利息」が存在する限り、未来においては常に「現在より多くのカネ」が必要になり、その需要を満たす為に社会全体で「カネ」は増え続ける。
    その需要を満たす為に経済は常に呪いのように「成長」を強いられ続ける。そして常に「より多く」を生産していく為に際限の無い環境開発(破壊)や効率化(ブラック化)が進み続け、これは技術革新や新資源の開発などでも無い限り時間と共に常に悪化し続ける。また例え技術革新や新資源の開発などがあって緩和されてもそれは一時的なものでしかない。
    また、労働で生み出された生産物などその「労働の痕跡」が消費や劣化で消えてしまうなら、社会に残るのは労働者に支払われた「カネ」のみであり、つまりは資本主義であろうが社会主義、共産主義であろうが、経済活動が行われるならば、貨幣というものが存在するならば、必ず「カネ余り」というものが発生してしまう。
    この「カネ余り」で余ったカネが社会に平等に再分配されるならば「額面上の収入の増加を伴う」インフレとなるが、実際にそうなっていないのはこの余ったカネが社会の一部の者達に集中し続けるからである。「カネ」があればあるほど投資も起業も容易くなっていく事からも、経済は原則的に常に「カネを持つ者が更に得るようになり、カネを持たない者は更に失っていく」という構造を持ち、そして「余ったカネ」は持てる者にこそより集中する為に「カネ余り」は「格差」を著しく拡大させ続け、そして「カネ余り」は貨幣が存在する限り必然的に発生する。
    また、これは受け売りであるが、負債、所謂「借金」というのも、それを取り立てる側から見れば債権、つまり一種の財産であり、つまりは「カネ」である。「負債」「借金」も「カネ余り」の一種の現れであり、つまりは「カネ余り」が増えれば増えるほど、社会全体、国家全体の「借金」も増え続ける事を意味しているのであり、今ほぼ全ての国が借金まみれになり、借金なしではとても運営できなくなって来ているのもこの為である。当然税金も、消費税が上がり続けている通りにこれから先もずっと上がり続ける事になる。

    この状態は永遠に続くものでは無い。格差が拡大し続ければ次第にカネを搾取できる下層が消えていき、資本家などの債権者達はカネを搾取できなくなり、そして「債権」は相手がカネを出せる間は財産だが、相手が払えなくなった途端、多くの場合「負債」へと変わる。一部に「カネ」が集中し続ければ、必ず最後には破滅が訪れる。
    貨幣経済に常に付きまとうこの「カネ余り」をどうにかしなければ、それを助長し加速させる「債権」というものをどうにかできなければ人類は滅ぶ。

    ただし、共産、社会主義ではこれを解決できないのは、労働でさえその労働の痕跡が消えればカネだけが残り余る事からも、また、かつてのソ連や、現在の中国、北朝鮮などの共産主義国家において実際に「極端な格差」が発生している事からもこれは自明である。労働の報酬をカネではなく完全に「物」だけにする事など不可能である。ましてや指導層も含めた国中からカネを完全に消す事等。仮に出来たとしても「物」が「準貨幣」として機能しはじめるなら結局は同じ話である。

    インフレとデノミは避ける事は出来ない。

    化学製品の大量消費によって支えられている農業は経済の道連れとなる。依存が強ければ強い程に。


    自己相似系の立体に光子が閉じ込められるのは、恐らく体積に比しての表面積の巨大さと複雑さ故に、場として光子と立体が互いに相互作用し切る事に「ラグ」が生じる事に由来すると推測される。
    光速を超え、空間と時間を無視して瞬時に伝達される量子ねじれは、恐らく「圧縮された時空」も無視する。
    重力子は恐らく重力子同士をも縛る。互いにその働き「自体」を「鈍め合う」。

    円周率やネイピア数や根などは、「関係性」より自明的に定められる無理数である。どんな関係性からも、関係性から求めた数同士の操作からも求める事の出来ない「真のランダム」とも言える無理数(無限数列)などあるのだろうか?
    人の「論理」はいずれもこの時空下においての「集合」の概念を礎にしている。ではトポロジー的な時空においては?

  • #16

    tsbudr (月曜日, 26 3月 2018 05:00)

    イスラム教の聖典であるコーランにははっきりと異教徒を殺せと書いてあり、またイスラムの開祖でありコーランを記した預言者ムハンマド自体も戦争によって実際に異教徒を殺している。
    だが、コーランの中で異教徒に対し攻撃を促す部分は少なく、大部分の教えは異教徒に対しても「寛容」を説いたものであり、信仰を無理強いする事を禁ずる教えもコーランには存在している。
    イスラム教の多くの者が、この寛容な教えと攻撃的な教えの間で揺れている。ここで一つその均衡を「平和な方」へと傾ける提案をしようと思う。

    神話や神の言葉とは複数の意味を持つ事が多く、つまり「密意」があるものであり、それはコーランにおいてもおそらく例外ではない。故にコーランの中の異教徒を殺せという教えもまた、言葉そのままではなく違う意味に取る事が出来る。
    つまりはコーランでいう異教徒とは自身の心の中にある神の教えに反し冒涜しようとする欲望なり悪意なり弱さなりの「自分自身」であり、異教徒を殺せとは自身の中のこれら悪心を殺せという意味に取れる。異教徒が喜捨を差し出すなら許せとは、喜捨を差し出すとは自身が起こした神の為の行動や、教えを守り自身を律し続けるなどの神に捧げた具体的な行動を意味し、しかし自身を責めたり我慢し続ければ心は辛くなり時に耐えられなくなるから、ある程度神の為の行動や教えを守る、つまり喜捨を差し出したのなら、たまには自分の中の欲望や弱さという異教徒に自由を許してやれよという事を意味しているとも取れる。
    また、同じようにメッカとは心の中の聖地、つまり心や記憶の中の信仰の礎たる侵され難い心の聖域という意味に、ムスリム(女性の場合ムスリマ)とはイスラム教という宗教団体に所属している者という意味ではなく、真の神の意に従い行動する者という意味に、啓典の民とは単にユダヤ、キリスト教徒という意ではなく、神の意を直接は汲めないが預言者達の残した聖典からそれを断片的に知れる不完全なムスリムやムスリマという意味にそれぞれ取れる。
    このように考えれば、攻撃的な教えは自身の心の中の戦いという平和的な教えに解釈できる。この解釈を単なるこじつけだと、特にテロ組織の者達や攻撃的なイスラム指導者などは言うだろうが、しかしジハードとは本来戦いを意味するのではなく神の為の努力を行う事を意味し、またムハンマド自体、戦争は小さなジハードで心の中の戦いこそが大きなジハードだと心の中の修跋をこそ重要視していたらしい事からも、この解釈はイスラムの精神に合致した解釈であると言え、この解釈を完全に否定し、攻撃的な教えをそのままの意味でしか認めぬ者達は、思慮浅く神の意を汲めぬ愚か者であると言えるだろう。

    重要なのは、攻撃的な教えにも「裏」があるという事を示す事であり、つまりは戦いの際、攻撃的な教えをそのままにとるかこの解釈をとるか、「今の場合どちらが正しいのか?」と常に彼らに思索する余地を与える事が出来るようになるという事であり、つまりこの解釈は攻撃的な教えを根拠にした戦闘を僅かにでも正当化し難くし、また相反する教えの間で迷う人々を少しでも戦いに向かわせ難く出来るという事である。是非とも世界平和の為に今日本で頑張っている左の方々にはテロ組織とは言わずとも欧州などのイスラム移民らの前などでこの解釈を国会デモのように声高に主張して頂きたいと言いたい所ですが、左の方々は自分達さえ非武装ならば攻撃されないと信じているようですが、十中八九殺されるとは言わずとも攻撃はされるだろう為止めてください。

    ムハンマドが戦ったように、私はイスラムの攻撃的な教えが全くこの解釈の通り内面の戦いのみを指すとは考えていない。
    例えば右頬を打たれたら左頬を差し出せというキリストの教えを言葉そのままの通りに解釈し、無抵抗主義を貫いた為に「アメと鞭方式」で悪人に「調教」されて最後には魂まで悪に堕ちるキリスト教徒のように、或いは、「悟り」を単なる精神的境地、或いは思索や瞑想で至れる単なる思想の一種など、自己の内面だけのものだと勝手に解釈し、外の問題に対峙する事を避け続けた結果全く現実に即さない机上の空論に到達し、勝手に悟ったと思い込んだまま無意味な自己満足の中で死んでいく仏教関係者達のように、内面的な戦いばかりでも人は道を誤るのであり、外敵と戦う、というより外の問題と対峙しなければならない場面は確かにあると思っている。とはいえ、今のテロ組織などのやり方は曲解も甚だしい間違ったものだと言えるだろう。

    コーランはイスラム教の聖典であり、故にそれが燃やされたり破り捨てられたりした際にイスラム教徒は怒って暴れ、時にそれは殺人にまで発展する事がある。しかしイスラム教徒にとって大切なのは物質としての書ではなく、その中の教えそのもののはずであり、大切な教えが書かれた書が粗末に扱われて怒る気持ちはわかりますが、しかしもはや世界中にコーランが存在しムハンマドの教えが完全に失われる恐れの無い現在において、その為に暴れ、まして殺人まで犯すというのは、コーランと言う物質の書そのものを神に見立てて崇めているようなものであり、その心性は彼らが禁じる偶像崇拝者となんら変わりがないように個人的には思われる。

    物には霊が宿る。悪霊も多く宿るが、中には神霊(天使、仏)が宿る事もある。悪霊が宿る偶像は確かに破壊しなければならず、また争いを好み人を貶める事や欲望を貪る事をよく行う穢れた心性の下では悪霊が宿る事が多いが、しかし物に宿り働かれる神霊もある為に何でもかんでも破壊すればいいという訳では無い。イスラム、キリスト、ユダヤ教などで偶像(或いは特定の対象物)へ拝む事が禁止されているのは、西洋人達の心性に依る所も大きいと思われる。また「祈り」(礼拝や供養という形式そのものの意味では無い)は、なるべく主神にだけ(主神に向けて)行うべきであるという事も確かなようである。

  • #17

    tabuse (月曜日, 26 3月 2018 05:02)

    とかくイスラム教の開祖ムハンマドの言行を元として作成されたイスラム教の法「シャリーア」の一般的な解釈によれば、強姦は加害者が罰されるべきであるとされている。
    しかし多くのイスラム国家は何をどう曲解したのか女性が加害男性を訴える際にはイスラムではその証明には4人以上のムスリム男性の証言が必要だという事にしているようであり、そして強姦などは大概人の居ない場所で行われるのであり、つまりほぼ全ての場合において強姦された女性は訴える事も出来ずこれらイスラム国家では逆に女性側が男性を誘惑したとして被害者の女性が処刑されている。
    強姦の立証に四人の男の証言が必要、などという訳のわからない法律はムハンマドの教えにも根拠が無い上に、脳みそか良心が少しでもあれば欠陥があるのはすぐにでもわかるはずであり、このような法がこれらイスラム国家において大きく問題視される事も無く受け入れられているなどは、全くムスリム共が最も大切な内面のジハードを怠った結果としか言えず、またこのようなムスリム共の中にはイスラムの中の寛容の教えや節制の教えを全く無視し、イスラム教の女性でなければ強姦しても罪にはならないという考えの者達までいる始末であり、果たして本当に神の名を汚しているのは誰なのかという話である。

    イスラム教に入れば天国にいけるというのなら、イスラム教徒の国といいながら同じイスラム教徒ばかりを殺し悪逆の限りを尽くし、神の為といいながらその実、イスラム国家ではない某国等がイスラム教を内部から破壊する為に使っているに過ぎないテロ国家のメンバー達も天国にいけるという事になる。イスラム教徒達もせっかく天国にいってもそこでまたテロ国家のメンバー達に再び会う事になるとなれば堪ったものではないだろう。
    各地でテロや戦争を起こす侵略的なイスラム過激派達は、自分達はムハンマドと同じ事をやっていて、最もイスラムの教えに忠実であると思っている事だろう。だが、彼らは最も重要な事を無視している。ムハンマドが侵略は行ったのは神からの直接の命令や許可があったからであり、神の直接の命令や許可なくば侵略を行わなかったという点である。コーランの教えに従っていると彼らは言うだろうが、しかしコーランには寛容の教えの方が多く、攻撃的な教えにのみ従っている者達は、しかし大部分を占める寛容の教えに反している為に、神の教えの一部分に従っている一方で、同時に彼らは神の教えの大部分に反してもいる。故に、神からの直接の命令や許可なく、ただムハンマドの行動の表面だけを真似ているだけの彼ら侵略的なイスラム過激派達は、最も肝心な部分が欠けている「似て非なる者」、全く以って「単なるまがい物」の「偽イスラム教徒」であると言えるだろう。

    これらのような旨の事を、世界中のイスラム移民達やイスラム国家の者達に広めてみるのも、あるいはいいかも知れません。先に書いたように直接に言うのは危険なのでなるべくは避けるべきですが。

    コーラン婦人章第29~30章において明確に自殺は禁じられているにも関わらず、イスラムテロ組織では自爆テロという名の自殺が行われ続けている。その為、イスラム国家やイスラム系住民や移民のいる地域、またイスラム系組織の自爆テロの標的となった国や地域において、各メディアやテロの標的となる可能性のある施設内や街中でのアナウンスや広告などにおいて、アラビア語とその国の言葉などで、「コーラン婦人章第29章、第30章において明確に自殺は禁じられている。自爆テロも行えば必ず死ぬ故に自殺の一種である。それを命じる者達が神の御心に叶っているとでも思うか?その者達に従い悪を行う者達が天国に行けるとでも思うか?」というような意味の文言をテロ防止の為にそこら中で流し続けてみるのも或いはいいかも知れません。

    私達の国である日本は神武天皇の東征よりはじまり、天皇は神武天皇の末裔である。イスラムと日本とは遠いようだが、しかしどちらもはじめは神意を受けた者が武力によって開いたのであり、実は日本とイスラムは似ていると言える。

    聖書に「殺すなかれ」とあるにも関わらず戦争(しかも侵略戦争)を行い、その矛盾を棚上げし続けてまた次の戦争を行い続けている時点で今のキリスト教徒もユダヤ教徒も大半は駄目だろう。
    愛と平等を説き教義的には最も穏健な宗教である「べき」であるはずのキリスト教のカトリックでさえ、神父による「伝統的な」児童への性的虐待がアメリカやヨーロッパやオーストラリアなどで2002年頃から大々的に報道されて問題視された後も尚バチカンはそれを隠蔽しようとし、その上糾弾された神父が南米などに渡って今でもそこで同じ事を繰り返している事を半ば黙認しているように組織的な腐敗も未だ根強い。

  • #18

    tabuse (月曜日, 26 3月 2018 05:03)


    「日本書紀」「先代旧事本紀」においては、スサノオは朝鮮半島にあった新羅のソシモリという地に高天原から天降られたとされ、また、「古事記」においては「三韓征伐」を成し遂げた神功皇后は、新羅より渡来した天日槍の子孫であるとされている。
    だが、これは「古事記」「日本書紀」にともに記述のある「三韓征伐」において、神功皇后の夫である仲哀天皇が朝鮮半島の存在を知らず否定した事と矛盾している。
    スサノオの伝承を知る天皇家の人間であり、更に新羅から来たという天日槍の子孫である神功皇后を妻に持つ仲哀天皇が、朝鮮半島の存在を知らなかったというのは、考えてみればおかしな話である。

    「古事記」は、当時天皇以上の力をもっていたとされる藤原不比等の心証を損なわぬように記されねばならなかった。
    藤原不比等の父である中臣(藤原)鎌足(或いはその父の御食子)は、実は新羅と同じく朝鮮半島にあったとされる百済からの帰化人であったのではないかとも言われており、「続日本紀」などにはそれを示唆するともとれる記述が存在している。
    私は鎌足は元々は三韓征伐の際に百済を統治するなどの為に百済に派遣されるかして百済人と婚姻し混血した天児屋根命の一族の者の子孫であり、その縁で鎌足は日本に来た際に同じ天児屋根命の末裔の中臣家に養子として迎えられたのだと考えていますが、もし鎌足や不比等、或いはその子孫である藤原氏が、今の韓国、朝鮮人やその血を引く者達のように民族的自負心を強く持っていたのならば、「三韓征伐」自体を否定できないのならそれを行った神功皇后は元は自分達と同じ民族だったと捏造しようとしても不思議ではない。
    百済ではなく新羅としたのは、内心嫌っている故に完全に自分達と同じとするのを嫌がった故であるとも取れる。「古事記」口述者の稗田阿礼はおそらく「矛盾」という形で真実を隠し、そしてその目論見は、「日本書紀」にもこの「矛盾」が残っている通り成功している。天日槍は本当はおそらく朝鮮ではなく、かつては同じ日本列島内にあったが当時の大和朝廷とは違う国の人であったと私は考えている。

    「日本書紀」も「先代旧事本紀」も不比等の時代、及びその子孫である藤原氏が権勢を誇っていた時代に成立したものである。これら古記の記述よりスサノオは朝鮮人であるという説が存在しているが、これら古記には「子と共に天降った」とある通りにこれは誤りである。
    スサノオが朝鮮人であるというのならば古記の「天降った」とは地上に生まれた事と読む事になり、スサノオが朝鮮人の間に「人として」生まれたという事になるが、現界において(おそらく霊界においても)自分の子供と共に出産される人間などいない。
    しかし、牛頭天王とスサノオは同じ存在であり、またスサノオが子(部下)と共に日本を離れ朝鮮に渡り、後にソシモリと呼ばれるようになった地を訪れた事があるのはおそらく事実である。スサノオがソシモリの地を訪れた事などを日本が知ったのは、後に日本が朝鮮と関わるようになった際に当時の朝鮮に残っていた地名や史跡、伝承からそれを知ったのだと推測される。

    「倭」に対しての「大倭」である。和を重んじる為に後に大倭を大和と改めた。最初に中国に発見されたのは倭(委奴)の方であり後に混同された。卑弥呼と天照大神は別人である。卑弥呼とヒミコ(日巫女、火水子)も別である。三韓はその位置と規模が時代によってかなり違う。
    古朝鮮の場所は最初は朝鮮半島ではなく遼東半島辺りでありそこから移動しており、そこから比定される国々の位置も現在の通説とは全く違う。中国の古文書には楽浪郡や帯方郡が「朝鮮半島」にあったとする記述は一つも無いそうであり、実際「史記」夏本紀には楽浪郡には万里の長城の起点があったと記述されているそうだが、万里の長城は朝鮮半島を通っておらず、また(上記の史記の記述などから昔は朝鮮半島にも万里の長城が通っていたと考えられているようだが)その「巨大なはずの」遺跡も朝鮮半島からは「全く」発見されていない。
    考古学的にも朝鮮半島からは中国古文書の記述の中の楽浪郡や帯方郡の記述に関する遺跡は発見されていないそうであり、楽浪郡や帯方郡があった事を示しているとされる物についても、辰韓人の物であると解釈できるなど明確な証拠と言えるものはやはり発見されていないそうである。これは日本も「同様」であり、だからこそ未だ決着が着かない(本当はどちらにも無いので決着のつきようも無い)議論が続いている。今の通説としてまかり通っている誤解は古代の国の位置をそのまま現代と同じだと考えた為に起こったものである。今の朝鮮半島人は辰韓人の血を最も濃く受け継いでいる。
    卑弥呼は後の新羅や百済(後百済)同様に外国勢力(この場合は魏)を引き入れて対抗国を滅ぼして貰おうとしたが、その際にその卑しさを見破られた。それ故の最初の破格とも言える厚遇から一転しての魏の冷遇である。志賀島の金印は大乱の際に卑弥呼以前の王によって「遥か南方」に隠されそのまま失われた物であると推測される。卑弥呼は恐らく崇神天皇(神武天皇ではない)と同じぐらいの時代の人であったと私は考えている。

  • #19

    tabuse (月曜日, 26 3月 2018 05:05)

    はじめは影だった。

    彼の父は殺された。しかし世間一般では病死という事にされた。それは彼の父が殺されたという事が弱みとなり、全てが台無しになる事を避ける為だった。
    父の死からほどなく、彼が父の代わりになった。しかしすぐに彼もまた殺された。彼の父の死の時と同じく敵対勢力の手によるものと、彼らは偽った。
    彼の父が彼らに殺された事は、既に遠く外国にまで噂が広まっていた。彼はいずれその噂を聞いていただろう。そうなれば、いずれ自分達に歯向かうようになる。だから彼らは彼を殺した。
    彼の周りの人達は、彼の代わりを立てねばならなくなった。しかしそれが成るのを目前に彼の父と彼と立て続けに二代も殺されたと世間に知られれば、全てが台無しになるかもしれない。それに彼の代わりになった者もまた、殺される可能性が高かった。
    だから彼らは自分達の中から影を立てた。彼の周りの人達には、それが成り上手く軌道に乗った時に全てを明かすと偽って。
    だから、彼の周りの人達は、影が彼の代わりになる事を黙認した。彼の死は世間に隠された。影が彼だという事になった。
    それが成ったのは、影が彼の代わりになって一年も経たない内の事だった。

    彼の周りの人達は、彼らの事を怪しんではいた。しかし確たる証拠は掴めず、また、彼らに歯向かえば彼や彼の父のように殺されるのは目に見えていた。そして何より、それを成すには彼らの力が必要で、他の多くの人々の為にも彼らと反目する訳にはいかなかった。彼の周りの人達には、力が無かったのだから。
    だから時を経て彼らの言葉が嘘だとはっきりとわかり、全てが手遅れになって尚、彼の周りの人達にはどうする事もできなかった。
    影は、彼になった。
    はじめは影だった。

    それ以前の彼と、父の代わりになった後の彼とは、何もかもが違いすぎていた。彼自身が変わったというには全てがあまりにも急速で急激すぎる変化だった。

                                                  田布施 蟻巣